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特別掲載:リレーエッセイ「被災地で生きる女たち」(2014年3月)

2016/03/25

『女たちの21世紀』のリレーエッセイ「被災地で生きる女たち」は、被災地で暮らす女性や、原発事故で生活に大きな変更を余儀なくされた方の思いを届けるため、2013年9月からはじまりました。震災から5年の今年、執筆者の承諾を得て掲載します。(2016年3月 『女たちの21世紀』編集部)

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『女たちの21世紀』77号、2014年3月掲載

リレーエッセイ 被災地で生きる女たち 3

草野祐子(みやぎジョネット・仙台市青葉区)

ひととして生きる醍醐味は、自分の人生をデザインできることにある。「311」の揺れはしかし、瞬時に2つの彼方へひとを二分し
ワープさせた。亡くなりかたは惨すぎ、生き残った者には容赦なく枷が掛けられた。
あの夜、もう2度と明るい朝はこないと思われたが、闇は静かに白みゆき、家の様子を見に入った石巻で、涙も、声もわすれ、ただ共に生きたい想いだけが溢れて、わたしは団体設立を決意した。
一人ひとりのしっかりした立ち上がりを願い、女が積極的に関与する復興図を思い描き、県内各地さまざまに活動するなかで、女たちの様子に強く地域性を感じるようになった。向かう頻度は徐々に県北にシフトした。
あの頃欲しくて欲しくてたまらなかったのが、トレーラーとトイレだった。ある日町長のトレーラーがやって来てジョネットハウ
ス(jh)になった。その後jh を訪れた町長のウインクでトイレ3基が運ばれ、国連ウィメン日本協会のご寄付で電気が灯り、事務機
器や電話がついた。あぁ! 女の復興の種が蒔ける、安心して居れる、と思えた感動の契機だった。
ひとりになれる時間が欲しくてjh で本を読みふけっていたひと、jh の壁やら床やら、来るたびに拭き掃除をするひと、震災後の鬱
やトラウマからそっと帰るひと、昼間来たと思ったら夕方またやって来るひと、いろんなひとがいた。
深い傷を負い『生きる屍』状態の女たちが、ジョネットに寄さってきた。jh まで来ることさえままならなかったひとが、自分を受け
入れてくれる場所があること、さらに求めてもらえる幸せに気づくようになった。
被災してひとが生きるために、あるいは被災地にひとが生きるには女たちがいなければならないと証したのが、東日本大震災だ。ネットワークを複層化させた女たちに女たちは支えられ、歩をつないで来ることができた。
ジョネットは、毎日催すサロンを窓口にして女性たちのエンパワメントを重視してきた。全国からの支援物資をニーズにあわせ確実
に届けながら、消え入りそうな声を拾い寄り添ってきた。編み物等の技術をいかした製品化、津波被害を受けた海産物販売の再開、起業支援、資格取得を目指す講座の実施等、被災地の女性の自立・復興を総合的に支援する活動。加えて被災地の現状を発信、行政等への提言にも取り組んできた。
被災後4年目を迎え、認知症、不登校、いじめ、自殺などの問題が進行している。あと数か月で公営住宅1号が入居可能というが、「あっちへいく人こっちにいく人」(住む先のあるなし)の構図が、大きなひずみを生んでいる。回復には時間がかかるが、枷を緩められるよう女たちが寄り添い続けている意義は極めて大きい。初心のまま、わたしは、ジョネットの黒子を続けると決めている。

被災地77号
2014 年2月、ジョネットの支援で起業した村松まつ子さん(70 歳)は、地域コミュニティ維持のため、店舗販売兼コミュニティカフェ運営のほかに移動販売を行っている。

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