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特別公開「女たちの21世紀」No.93 女たちの戦前責任を考える 「特集にあたって」

2018/03/30

「女たちの21世紀」No.93【特集】女たちの戦前責任を考えるに掲載した「特集にあたって」(竹信三恵子)を特別にウェブ公開します。

特集にあたって 私たちの「戦前責任」を果たすためにno93hyoshi

 私たちはいま、「戦前責任」に直面させられている。先の大戦で引き起こした国内外での人権の抑圧や民主主義の破壊への「戦争責任」も、その後始末としての「戦後責任」もほとんど果たせないまま、いま、かつての戦争前夜と同様の現象が、さまざまな分野で始まっている。これを押しとどめ、戦争を再び始めさせない責任。それが私たちの「戦前責任」だ。
 この言葉の提唱者、元長崎大学教授の高橋眞司さんは、次のように述べる。
 「アジア・太平洋戦争が終わったとき、私は3歳半であったから、私に戦争責任はない、といえよう。しかし、戦後60年を経て、私に『戦後責任』は十分にある。だが、若い世代には戦後責任さえもない。しかし、次の戦争に関して、侵略戦争を容易に始めさせない、そのための準備を着々と進めさせない『戦前責任』(pre-W arresponsibility)は、君たちにもある。」(「原爆死から平和責任へ:被爆体験の思想化の試み」長崎大学教育学部社会科学論叢2007年3月31日)
 高橋さんは時代を「戦前期」「戦争期」「戦後期」に分け、「戦前期」には、仮想敵国の現実的脅威の宣伝、国家主義の教育、偏狭な排外主義、軍隊と戦争に関する法律の拡充が相次いだとする。そしていま、「戦後期」から「戦前期」「戦争期」へと円環が始まっている、と見る。確かに、「大本営発表」と呼ばれるマスメディアが「北朝鮮の脅威」を連呼し、あおられる形で「防衛費」は膨らみ続けている。安保関連法制が国会を通り、憲法への自衛隊明記も打ち出された。そして、女性は――。
 私の手元に、『男装従軍記』(日本評論社、一九三二年)という古びた本がある。出版は「満州事変」の翌年、永田美那子という女性による戦地ルポだ。何年も前に古書好きの家族が古本屋で衝動買いしたものだが、冒頭のグラビアページの、日本軍兵士らと並んで断髪・乗馬服姿で写る永田の高揚した表情に腰が引けてしまい、読まずに放置していた。だが、今回の特集を機に読んでみて、今の「女性活躍」の空気との類似性によそごとではない衝撃を受けた。
 「閨秀詩人(女性詩人)」の永田は、自ら進んで新聞社から記者証をもらい、単身、戦火の前線に出向く。そんな「男装の女性記者」を軍の幹部は持ち上げ、塹壕の兵士たちは活気づく。軍の歓待の中で永田は、その説明通りに中国側の非を書き連ね、「今日本国民は、生きなければならぬ、絶体絶命の場合に直面している」「日本内地の天然資源は、もはや日本国民の将来の生活を、保障することはできなくなって来ている」「これを『侵略』の名に鞭打つことはできるのか」(原文は旧字・旧仮名遣い)と、「国難」を理由に軍の行動を擁護する。戦地での中国人の死体や、野戦病院の診察室からあふれ出る「『姑クーニャン娘』の行列」を見かけても、「君には関係のないこと」と軍にいわれ、あっさり見過ごしてしまう。
 こうした永田の「活躍」ぶりが、現代の女性たちと重なって見えたからだ。
 昨年九月、安倍晋三首相は「少子高齢化」と「北朝鮮」を理由に自ら仕掛けた解散を「国難解散」と名付けた。大方の世論は「お前こそ国難」と冷ややかだった。だが一方で、私たちは「少子化対策」の名の下にて婚活、妊活に向かわされ、気前のいい武器購入の一方で、「財政難を乗り越える」と、3世代同居などによる自己責任保育を奨励されつつある。
 この特集は、そんな「身近な戦前」を拾い集めることから始めようと企画した。それをもとに、周囲の「戦前」を、一つ一つ押し返していくこと。それが、私たちの「戦前責任」を果たす一歩となると思うからだ。

竹信三恵子(ジャーナリスト、アジア女性資料センター代表理事)

※「女たちの21世紀」No.93【特集】女たちの戦前責任を考えるはこちらから注文できます。

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