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日本軍「慰安婦」問題に関するアピール:政治家による「強制」否定と「河野談話」見直しの主張に対して

2012/09/06
日本軍「慰安婦」問題に関するアピール:政治家による「強制」否定と「河野談話」見直しの主張に対して

韓国との領土紛争が悪化するなかで、日本軍「慰安婦」問題について、「強制の証拠はない」「河野談話を見直すべき」という政治家らの発言が相次いでいます。
 橋下徹大阪市長は8月21日および24日に、「慰安婦が軍に暴行、脅迫を受けて連れてこられた証拠はない」「強制連行があったかどうかの確たる証拠はなかったというのが日本の考え方」「韓国側が問題視するなら証拠を示してください」「軍が慰安所を公的管理したことと、慰安婦が強制的に連れてこられたかは別問題だ」等と述べ、さらに1993年の河野洋平官房長官談話について、「あいまいな表現で、日韓関係をこじらせている最大の元凶だ」「河野談話は認識を表明しただけ。韓国側が談話を(慰安婦の)強制連行を裏付ける証拠だというのは、論理的に間違っている」などと発言しています。
 橋下市長の発言を後追いするように、東京都の石原慎太郎都知事や自民党の下村博文議員、安倍晋三元首相なども、同様の趣旨の発言を相次いで行っています。
 橋下氏をはじめとするこれら政治家たちの発言は、「強制」と「証拠」という言葉をいずれもごく狭く解釈することによって問題の矮小化をはかり、多数の女性たちに対する組織的性暴力の事実をなかったことにし、責任を逃れようとするものといえます。

「強制」の矮小化
 橋下氏は「軍に暴行、脅迫を受けて連れてこられた証拠はない」「軍が慰安所を公的管理したことと、慰安婦が強制的に連れてこられたかは別問題だ」などとして、慰安所に女性たちを連行する際に、直接的な物理的暴行や脅迫が用いられたかどうかのみを問題にしようとしています。しかし、「慰安婦」の徴募・移送・管理を含む日本軍「慰安婦」制度全体のなかで、連行時に限って暴行や脅迫の有無を論じることに、一体どれほどの意味があるというのでしょうか。
 日本が植民地支配していた朝鮮では、日本軍の要請を受けた業者による徴募が広く行われましたが、「仕事がある」「教育が受けられる」などといって騙したケースが多数を占め、強要や人身売買も数多く行われたほか、官憲によって強制的に連行されたという被害者証言もいくつもあります。さらに、「慰安婦」被害があったのは朝鮮だけではないことを忘れてはなりません。日本が軍事占領していた地域では、軍による文字通り暴力的な強制連行がほとんどでした。慰安所で女性たちは性的暴力・身体的暴力にさらされ続け、出ていく自由も手段もありませんでした。それでも、連れてきた時に暴力はふるっていないから責任はないとでも言うつもりでしょうか。これではまるで、女性を部屋に連れ込み監禁して性行為を強要しておきながら、連れてくるときは暴力をふるっていないから強かんではないと強弁するレイプ犯の理屈です。
 そもそも、日本による植民地支配や軍事占領・侵略下において「慰安婦」とされた女性たちは、自由意思により行動する自由と手段を著しく制限されていました。軍や警察、植民地官僚が直接関わったか、民間業者が行ったかに関わらず、女性たちはその意思に反して「慰安婦」とされたのです。女性の意思を無視して性行為を強要するという性暴力システムを設置し管理した国家責任が問われているというのに、連行時に暴行・脅迫があったかどうかに問題を矮小化して責任を免れようとする政治家たちの言説を許すことは、今日における性暴力加害を許すことにもつながります。

「証拠」の無視
 橋下氏が「強制の証拠はない」という主張の論拠としている2007年の安倍内閣の「閣議決定」は、辻元清美氏の質問主意書に対する政府答弁を指していますが、これが言っているのは、1992~93年に政府が調査した文書には、軍や官憲による強制連行を直接示すような記述は発見されなかったということです。この「いわゆる従軍慰安婦問題について」 という政府調査では、日本軍・政府の文書だけでなく、被害女性や元軍人、官僚らの証言、国内外の調査資料や研究書にも幅広くあたった結果として、当時の軍の関与の下で女性たちの意に反して募集、移送、管理が行われたと結論付けています。つまり、1993年の政府調査は、公文書に限らず証言を含む多数の証拠から結論をみちびいているのに対し、橋下氏は公文書だけが「証拠」だと主張し、他の証拠はすべて無視しているのです。しかし文書に残された記述だけが信頼性のある証拠として採用されるわけではないことは、弁護士として法廷に立ったこともある橋下氏ならよくわかっているはずではないでしょうか。
 しかも、この答弁書が存在しないと言っているのは、「強制連行を直接示すような記述」であるにすぎません。女性を性奴隷として強制連行することは当時の国際法でも明らかに許されないことであり、敗戦時に軍が関連文書を大量に破棄していることからも、強制連行を直接的に命じた文書が発見されないのは不思議ではありません。しかし、日本軍が慰安所を設置し、「慰安婦」の徴募を民間業者に要請したこと、「慰安婦」の移送や管理を行っていたことを示す文書は数多く発見されています。93年の調査報告書の公表後も、国内外の民間研究者や団体が数多くの調査・研究を行っており、日本軍の下でいかに大規模な組織的性暴力システムがつくられ運用されたかが明らかにされてきました。
 これら調査研究の成果の一部は、韓国・中国・台湾・フィリピンの被害者らが日本の裁判所に提訴した計10件の訴訟において証拠書類として提出され、うち8件の訴訟において裁判所による被害事実の認定がなされました。国連においては、1996年に国連人権委員会において採択された「ラディカ・クマラスワミ女性への暴力に関する特別報告者による報告」 、1998年に国連人権委員会差別防止・少数者保護小委員会が採択した「ゲイ・マクドゥーガル戦時性奴隷制特別報告者による報告書」 のほか、いくつもの人権機関が日本軍「慰安婦」制度による人権侵害の事実を認定し勧告を行っています。そしてもちろん、数多くの被害女性たち、また兵士や住民による証言の聞き取りとその裏付け調査も、数多く積み重ねられてきています。
 これらの政府機関、民間研究者、民間団体、司法機関、国際機関による膨大な調査研究と、被害女性や日本軍兵士、住民たちの証言にもかかわらず、「証拠がない」と言い切る政治家たちは、自国の歴史と政治的責任についてあまりに無知であるか、これらを意図的に無視・否認して問題を矮小化しているかのいずれかということになります。

「河野談話」は最低限の責任表明
 1993年の河野洋平官房長官談話は、上述の政府の調査報告書に基づいて、日本政府としての認識を表明したものであり、河野氏個人の根拠なき見解などではありません。当時の政府調査は限られたものであり、河野談話で示された政府の見解も、真相究明、被害者の権利回復という責任を果たすには不十分なものであったと私たちは考えています。しかし少なくとも河野談話は、「狭義の強制」があったかどうか、というような姑息な議論はしていません。「慰安婦」の募集、移送、管理が「総じて本人たちの意思に反して」行われたものであったことを認め、「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」ことを率直に認める内容でした。この談話で表明された「歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視」すること、「歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ」るという意思を、その後の歴代政府がいまだに実現していないことは誠に遺憾ですが、少なくとも、これが今日まで日本政府の責任表明として最低ラインとなってきました。
 この最低限の声明をすら否定するということは、日本が、過去に犯した罪を否認し、国際社会の普遍的規範であり、日本国憲法の基本理念でもある人権に背を向けるということを意味します。そのことによって切り捨てられるのは、「慰安婦」被害女性たちの正義だけでなく、国際社会の信頼であり、今日の日本社会に生きる人々すべての人権です。
 植民地支配と侵略戦争のなかで多数の女性たちに対して組織的性暴力を行使したこの国の罪に向き合い、二度とこのようなことを起こさない社会をつくることは、私たち自身に課せられた責任であって、隣国との領土紛争を口実に逃れることはできません。市民のみなさんに、ナショナリズムと女性に対する暴力、植民地主義に対する闘いをともにしていただくよう呼びかけます。

2012年9月6日
アジア女性資料センター

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