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「東ティモールの日本軍性奴隷制被害者に関する要請書」に賛同しました

2010/03/02

アジア女性資料センターは、東ティモール全国協議会がよびかけた下記の要請に団体賛同しました。

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内閣総理大臣 鳩山由紀夫殿
外務大臣 岡田克也殿

東ティモールの日本軍性奴隷制被害者に関する要請書
―日本軍によるポルトガル領ティモール侵攻68年目の日にー

東ティモールは、昨年8月30日、独立を決定した歴史的な住民投票から10周年を迎えた。インドネシアによる占領統治の終焉と独立は第二次大戦中に日本軍によって「慰安婦」にされた女性たちの実態調査に道をひらいた。しかし、旧自民党政権は、名乗り出た元「慰安婦」たちに謝罪と補償を行うことを拒否し続けた。同日、日本で実施された衆議院選挙において歴史的な政権交代が実現した。この間旧自民党政権は日本の戦争責任問題に蓋をし、同時に東ティモールに対するインドネシアの戦争責任も追及しなかった。その結果、東ティモールの平和構築に対する日本の関与は狭くかつ浅薄なものとなった。今回の政権交代によって、日本が自国の軍隊による性暴力被害者との和解を果たし、平和構築への新しい姿勢を国際社会にアピールできることを願ってやまない。

大戦中、日本軍は東ティモール全土でリウライ(伝統的な首長)や村長などに命じて女性たちを差し出させ、駐屯地の周囲に「慰安所」を建設した。これは占領政策の一環としての性奴隷制であり、非人道的な犯罪行為であった。東ティモールでは昨年までに17名の被害者が名乗り出たが、すでに、エスメラルダ・ボエさん、マルタ・アブ・ベレさん、クレメンティーナ・カルドゾさん、マリアナ・デ・ソウザ・フレイタスさんがこの世を去った。さらに、昨年、6月30日にマルガリーダ・ホルナイさん、7月30日にマリア・ロザ・フェルナンダ・ノローニャさんが逝去された。以下におふたりの被害体験を紹介する。

マルガリーダさんの住むマヌファヒ県に日本軍が来た時、彼女はまだ幼かった。
捕まって「慰安所」に連れて行かれたが、逃亡に成功した。すると村の指導者が家族を呼びだし、熱帯の陽の下に立たせ続けるという拷問をした。結局彼女は見つかって連れ戻された。そこには他の地域の女性たちも集められた。コマキという将校は女性たちを自分の家によんで相手をさせた。カトリックのシスターに助けを求め
たこともあったが彼女も餌食になった。戦後結婚したが、過去は心を苛み、周囲の人が自分のことを噂しているのではと感じ続けた。

ロザさんの住むボボナロ県に日本軍がやって来た時、彼女はまだ胸も小さくメンスもなかった。村長から拒めば両親が殺されると脅され、性病検査をされた後にオハラという司令官に仕えさせられた。オハラが移動すると家に戻れたが、今度はタニヤマという将校が両親を脅し住み着いてしまった。自分の家でタニヤマの相手をさせられたが両親はどうすることもできなかった。人生で一番つらかったことは、まだ子どもの頃に強かんされたこと、連れて行かれるのが嫌で木に登って逃げようとしたが、結局連れ戻されてしまったことだと語った。

東ティモールは、戦後ポルトガルによる支配が復活し、その後独立の過程でインドネシアに占領されたことで、日本の戦後補償の空白地帯となってきた。私たちは、日本政府が、自らの責任において、一刻も早く、日本軍による性奴隷制の被害者たちに謝罪と補償を行なうことをここに改めて要請する。被害者たちに残された時間はわずかである。

2010年2月20日

東ティモール全国協議会
(札幌、東京、大阪、岡山、下関、大分、長崎、日本カトリック正義と平和協議会、カトリック正義と平和仙台協議会)

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☆東ティモールにおける正義の崩壊 

昨年8月30日、東ティモールは1999年の住民投票の10周年を祝いました。しかし、こ
の日の前後に、お祝いどころではない、憤懣やるかたない事件がふたつ起こりました。

(1)1999年の「人道に対する罪」で身柄を拘束されていた東ティモール人、マルティ
ヌス・ベレが、インドネシア政府の要請によって東ティモール警察によって釈放され
インドネシアに帰還しました。ベレは反独立派民兵組織のメンバーで、スアイ教会虐殺
事件(1999年9月6日)に関与したとして、殺害、レイプ、拷問など51もの罪状で重大
犯罪部から起訴されていました。この間ベレはインドネシアに在留し処罰をまぬがれて
きたのですが、密かに帰国した後東ティモール警察によって逮捕されました。しかし、
住民投票記念日を前に東ティモール政府はベレの釈放を決めたのです。東ティモール
では2008年にホルタ大統領が出した「恩赦」(減刑措置)によって1999年がらみの服
役者(殺人犯・レイプ犯)はすべて自由の身になっています。1999年に関してはイン
ドネシア軍関係者はただのひとりも処罰されていません。そのインドネシア軍の高官
を東ティモール政府は住民投票10周年の記念式典に招待しました。今回の措置により、
東ティモール政府(シャナナ・グスマォン首相)がインドネシア政府(軍)との間で
正義の追求を放棄するつもりであることが明白になりました。東ティモール政府は、
また、日本政府に対しても日本軍占領期の被害に対して何の声もあげようとしていま
せん。

(2)首都ディリでは 住民投票10周年を記念して国際連帯会議が開催され、いまだに
自決権を行使しえない西パプアや西サハラの人々の問題も討議されました。会議が
終了した翌日、要人が宿泊するホテル・ティモールの向かい側の草地で西パプアや西
サハラ問題の解決を訴える小さな人々の集まりがありました。しかし、その集まりに
参加したティモール人学生が警官によっていきなり逮捕されたのです。警察には国連
の法務部や内外の市民団体による抗議が寄せられましたが、彼らはすぐには解放され
ず、解放までに数日を要しました。
こうした状況の中、現地の人権団体と国際連帯グループは被害者の組織化を助け、
責任者処罰と被害者の救済を訴え続けています。東ティモールにおける「法の支配」
は育つ前にすでに枯れつつあり、その崩壊は戦争犯罪の領域にとどまりません。正義
の欠落は社会を腐らせ、今や暴力と汚職が東ティモールの「文化」になりつつありま
す。

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