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2005/7/30~8/7 ヨルダン・スタディツアー報告

2005/08/10

会員のみなさま

ヨルダンスタディツアーから夕べ帰国しました。簡単に報告します。
ツアーの参加者のみなさんも是非一言でもMLに感想を投げてくださ
ると嬉しいです。

WAM(おんなたちのアクティブ・ミュージアム)のオープニングイベ
ントに後ろ髪をひかれつつ、国会での郵政民営化や障がい者自立支援
(阻害?)法の行方なども気になりつつ、7月31日に総勢15名で出発
しました。途中、沖縄の高里鈴代さんも合流され、現地に一足早く着
いていた今回のツアーのコーディネーターの清末愛砂さんも含めて
17名の旅でした。

アジア女性資料センターのスタディツアーでは始めての中東の国ヨル
ダン。カタールのドーハ空港で飛行機を乗りついでアンマンにたどり
着きました。湾岸の国カタール・ドーハでは長い待ち時間の間無料の
シティーツアーに参加しました。

石油よりミネラルウォーターのほうが高いというドーハでは、街中を
歩いている姿は男性ばかり。女性の姿はほとんど見られません。日中
の気温が40度を超える街中の男性の姿も移住労働者ばかりで、違和
感を感じましたが、ヨルダンでは空港に着いた途端、女性の姿も多く
(大都市アンマンはスカーフ無しの女性も多い)、居心地の良さが各
段に挙がりました。

ヨルダンは人口の7割近くがパレスチナ難民(1世は時代とともに少
なくなり今では難民キャンプ生まれの世代が多い)を占め、今回もガ
イドさんやバスの運手飲手さん、ホテルのマネージャさんなど会う人
のほとんどがパレスチナ人でした。同時にイラクとも国境を接してい
るため、戦火から逃げてきたイラク人もたくさん住むヨルダン。日ご
ろニュースや新聞で見聞きする侵略戦争がとても身近に感じられるツ
アーでした。人びとはおおらかで優しく、食事もおいしく、気候も暑
いけど乾燥していて過ごしやすいアンマンは今起きている戦争への入
り口となる街でした。

パレスチナの話、イラクの話を聞くにつれて、自衛隊という名の軍隊
を持つ日本に住む私が、軍事化の流れにまかせてながらも、あまりに
も戦争という現実と私自身の現実が離れていることによって、無力感
を感じていられることが一つの「特権」であることに気づかされまし
た。私が沈黙している間に次々と人は家を追われ、命を奪われていま
す。そのような思いを抱えて帰ってきた翌日衆院が解散、選挙が9月
に予定されました。次回の選挙で私たちが出す結果は非常に大事なも
のになると感じています。

以下、とても簡単ですが報告をします(と思って書いていると結構長
くなってしまいました。時間のあるときに読んでください)。次々号
の機関誌(11月発行予定)に参加者による報告が掲載される予定で
す。

8月1日(月)
★ヨルダン女性連合
ヨルダン発の弁護士によって1945年に設立されたヨルダン女性連合
は設立当初から非常にラディカルに活動してきました。それゆえに戒
厳令下のヨルダンで1957年と1981年に無理やり解散させられること
になります。2回目の解散では、アラブ女性会議にモロッコによる侵
略によってその統治下におかれている西サハラの女性も会議に参加で
きるべきだと抗議行動をしたことが原因で解散させられました。その
ときは、不当行為だとして国を訴訟し最高裁で彼女たちの訴えが認め
られ、戒厳令が解除された89年にようやく活動が再開されました。
彼女たちの思想は非常に明確で、社会、経済、政治の問題と女性の問
題は切り離せない。故にすべての問題が解決されなければ女性の解放
もない。という思想からドメスティックバイオレンスのような女性に
対する暴力から、グローバル化の中の女性の移住労働の問題や貧困の
問題まで非常に幅広くとりくんでいます(女性移住労働者はスリラン
カ、エジプト、フィリピン女性が多い)。これからはグローバル化が
女性にどのような影響があるかわかるようなワークショップを作ると
いう話をしていました。

有給スタッフが6ヶ月間給料をもらわないで、お金を貯めて購入した
という4階だての白いビルの事務所には女性のためのホットライン
(移住労働者からの電話も多い)、シェルター(法的、心理的、社会
的サポートが受けられる)、ステップハウス、子どもと面会できるス
ペース、職業訓練のための施設(美容師、コンピューター)、ケータ
リングサービスもできるカフェもありました(とっても美味しいお昼
ご飯をご馳走になりました)。ヨルダン国内に10の支部を持ち会員
は10,000人もいます。子どもの権利にも取り組んでいて「子ども議
会」を開催し子どもたちの権利について子どもたちが話し合える場所
も提供しています。

ヨルダンでは暴力から逃れるために女性たちが警察に助けを求めて
も、女性たちを「保護」する目的のために女性たちにできる唯一のこ
とが、女性たちを刑務所に入れて「保護」することだそうです。その
ような女性たちの行き場所をヨルダン女性連合は提供し、女性たちの
エンパワーメントのために非常に多岐にわたる活動をしていまし
た。

★ヨルダン女性連合が支援するパレスチナ難民キャンプ内の女性セン
ター
ヨルダン女性連合でたくさんの説明をしてくださった副代表のナディ
アさんはパレスチナ難民。ヨルダン女性連合はパレスチナ難民キャン
プの中でもいくつかの女性センターを支援しています。私たちはヨル
ダン女性連合の事務所で長居しすぎてキャンプ内の女性センターには
短時間しか滞在できませんでしたが、学校以外に子どもたちが過ごす
時間を提供しているこのセンターには帰宅前の子どもたちが20名く
らいいて、私たちに「私たちの故郷・パレスチナ」というような歌詞
の歌を歌ってくれました。子どもたちに自分たちの文化を語り継ぐた
めの活動の一つです。そのほかにも暴力がいけないことを伝えるため
の演劇も見せてくれました。この女性センターがあるのはアンマン最
大の難民キャンプ「ウィフダット難民キャンプ」です。難民キャンプ
ができた当時はテントが並んでいたであろう難民キャンプは今では私
たちにはどこからキャンプなのか境目がわからないくらいコンクリー
トの建物が並び、キャンプの中で買い物がすべて住ませられるくらい
です。

★ヨルダンタイムズ記者ラナ・フセイニさんの話し
ヨルダンタイムズで始めて「名誉殺人」について報道したラナさんに
会える機会がありました。ヨルダンのバスケットボールやハンドボー
ルのナショナルチーム代表として95年には日本にも来たことがある
というラナさんは長身の素敵な女性でした。

最初は「女性問題」に特に注目していなかったラナさんですがヨルダ
ンタイムズの「犯罪」を扱う部署に配属されて、女性が理不尽に犠牲
となる「名誉殺人」について細かく取材を始めるようになり、この不
正義に取り組むようになりました。今では国際的な人権賞を6つも受
賞しています。始めての「名誉殺人」の取材は兄弟に強かんされ、妊
娠、中絶をされ、その後40歳以上年上の男と結婚させられ、6ヶ月後
に離婚された16歳の少女が離婚された日に、もう1人の兄弟によって
殺害された事件でした。ラナさんの話しを聞きながら、家族によって
殺される女性はどこの国でも非常に多いことを考え、「名誉殺人」は
呼ばれ方は違ってもどこの国でも起こっていることだと参加者の一人
が話していました。

ラナさんは女性の権利について闘うことから、「反イスラム」、「反
家族」、「西洋かぶれ」と攻撃にさらされていると言います。日本で
も全く同じ論理で攻撃がされている現実を考えると女性たちが情報を
共有して闘っていくことの大切さを感じました。ラナさんの行動の結
果、今では裁判官、医療従事者、警察などへの「女性に対する暴力」
の被害者へのトレーニングも始まったそうです。ラナさんは「私は頑
固ものなので、女性にたいする差別・暴力について書きつづける」と
話してくれました。

8月2日(火)
★UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)による障がいを持つ子
どもたちのためのリハビリテーションセンター(ウィフダット難民キ
ャンプ内)
パレスチナ難民は自分たちの歴史や文化、誇りを継承するために近親
者同士の結婚が多いため障がいをもった子どもが生まれる確率が2か
ら6%と高いそうです(日本では1から1.5%くらい)。ある家では生
まれた子ども5人がすべて目が見えないことがあったと言います。こ
のリハビリテーションセンターは、障がいに対する意識をかえる(偏
見を無くす)ことや障がいを持った人が生きていけるツール(生きて
いくための技術や車椅子などの道具)を提供することを活動の目的に
しています。96年に設立されたセンターは、キャンプ内の家をすべ
て戸別訪問して障がい者を抱えている家探しなどの調査をすることか
ら活動を始めました。今では100名の子どもたちがこのセンターで学
び、300人が待っている状況だそうです。このセンターを出て普通学
校に通えるようになる子どもたちや大学に進学している卒業生もい
て、今では大学から障がいを持つ子どもたちのための教育を学ぶ学生
がインターンとしてやってくるようになっているそうです。

★カフール・アナ協会(ウィフダット難民キャンプ内)
パレスチナのカフール・アナ村出身者の設立した協会です。日本で言
うと「○○県人会」のような組織でしょうか。難民キャンプの中でも
とくに仕事が見つけづらい女性たちのための職業訓練もしています。
美容師、コンピューター、裁縫、編物などの教室があり、講師も女性
たちです。少女たちのプログラムもあるようで、私たちが訪問した日
は少女たちが「修了書」をもらう卒業式の日でした。

★ウィフダット難民キャンプ内にあるUNRWAの学校
ちょうど夏休みで子どもたちはいませんでしたが、UNRWAによる女子
高を訊ね校長先生のアドラさんから話を聞きました。10歳から16歳
までの2000人近い子どもたちが通う学校はヨルダンの教育システム
と同じですが、人数が多いため午前中と午後の2回に分けて子どもた
ちがやってきます。午前と午後の間の時間が短いため子どもたちの入
れ替えが大変だそうです。

ヨルダンとイスラエルの和平協定が結ばれて以来、ヨルダンの教育の
中からパレスチナの歴史に関係する記述がどんどん少なくなってきて
いるそうです。パレスチナの歴史について特別講義で取り上げようと
すると「つらくて苦しい過去を教えるのではなくて、楽しいことを教
えなければ」と指摘されると言います。日本の歴史教科書問題と重な
りました。今ではパレスチナ人の間のギャップが大きくなっているこ
とが問題の一つだそうです。着の身着のままで逃れてきた難民たちが
どうにか生き延びるために教育を受け、湾岸諸国に出稼ぎに行ったこ
とによりキャンプから離れて比較的恵まれた住環境で生活ができるよ
うになった人たちも増えた結果、自分たちのルーツを伝えることが難
しくなってきているそうです。アドラさんもキャンプの外に暮らす難
民の1人ですが自分たちのルーツを伝えるために娘を2ヶ所の難民キ
ャンプ内の学校に通わせたそうです。「パレスチナ人の離散
(Diaspora)」について考えさせられました。アドラさんはパレス
チナに帰るためにはイスラエル政府から許可証をもらわなくてはなり
ません。自分の国に帰るために自分の国を占領しているイスラエルか
ら許可証をもらわなくてはならないことを、自尊心が許さないとまだ
実現できていません。いつの日かアドラさんが胸を張って自分の故郷
の地に帰ることが出来る日が来ることを願わずにはいられません。

★パレスチナの民族音楽、舞踊、民話などの調査、収集、継承活動を
するグループ「ハヌーン」
春に咲く「野ばら」を意味する「ハヌーン」という名前のグループで
す。事務所ではなく、代表のムーサさん(本職は医者)の自宅にお招
きいただきました。90年に設立され、口承で伝えられてきたパレス
チナの民族文化を絶やさずに継承するために、難民の1世の人たちか
ら聞き取り、物語や詩、手工芸品を収集しています。設立以来500以
上の公演(ドラマや踊り、歌、演奏など)をボランティアメンバーに
よって行ってきました。ヨルダンだけでなくイラクやレバノン、そし
てヨーロッパでも公演活動をしています。ムーサさんはパレスチナの
人々は故郷を追われて以来、自らの文化を盗まれ、取り上げられ、否
定されてきたと言います。次の世代へ自分たちの文化と誇りを語り伝
えることが目的の「ハヌーン」のメンバーの中には初舞台はオムツが
とれてない2歳のころ・・・と言う人もいました。ムーサさんの自宅
ではビデオを見せていただきました。このビデオはCDでいただいて
きました。いつか上映会ができるいいなぁと思っています。貸し出し
などについてはアジア女性資料センターまでご連絡ください。

8月3日(水)
★アンマンから北へ1時間ほど車で行ったところにあるヨルダン最大
のパレスチナ難民キャンプ「バカー難民キャンプ」にあるUNRWAによ
る女性センターと難民キャンプに住む女性Mariamさんを訪問
キャンプに住む女性たちのエンパワメントを大きな目的として活動す
る女性センター。建物はUNRWAから提供されているものの、プログラ
ム実行、人件費、維持費などの活動費は自分たちで作り出すことが必
要とされているので、財政的に困難を抱えています。職業訓練のため
の美容師養成、コンピューター教室、裁縫教室、その他エアロビのク
ラスなどもあります。子どもを持つ母親が仕事をしたりトレーニング
を受けられるように、幼稚園も併設。特に貧しい家の子どもを優先し
て預かっています。その他孤児となった少女たちのためのプログラム
もあり本や衣服を提供しています。私たちが訪問した日は「女性の人
権」についてのワークショップを開いていました。

女性センターの後はMariamさんという難民キャンプに住む32歳の女
性のお宅をお邪魔しました。Mariamさんは45歳の夫と、4人の子ども
と一緒に32平方メートルの家に住んでいます。二つの部屋に仕切ら
れ一つはキッチンスペースでした。この32平方メートルのスペース
は「1ユニット」と呼ばれ、難民キャンプに逃れてきた難民に初めに
与えられるスペースでした。キャンプができて数十年がたつ今、パレ
スチナ人たちは大変な思いをして働き続け「1ユニット」をいくつか
組み合わせたり、建て増しをしたりして今では「1ユニット」の家を
当時の姿で見ることは少ないようです。「1ユニット」のままあると
いうことは、貧困の中で暮らしている表れでもあるということです。
アンマンの近くのキャンプに住む難民には比較的働くチャンスもある
のかもしれませんが、アンマンからも遠く離れたところにあるバカー
難民キャンプはもしかしたら働く場所も少なく貧困の中で暮らしてい
る家族が多いのかもしれません。Mariamさん一家の小さな家も数年
前までトタン屋根で覆われていて、寄付をもらってやっとコ
ンクリートの屋根がつきました。17名という大人数で訪れた私たち
を受け入れ、お話しをしてくださいました。

コーディネーターの清末さんがバカー難民キャンプ内で子どもたちに
「どこから来たの?」という質問をすると、口々に「バカーキャン
プ!」と答えたそうです。「え?パレスチナ出身じゃないの?」と問
い返すと、「あーそうか。パレスチナ!」と答える子どもたち。世代
が新しくなるに連れ、パレスチナとの距離がどんどん開きます。これ
が政治家が望んでいることなのかもしれません。

★イラク人ジャーナリスト、イッサム・ラシードさんのお話し
現在日本でスピーキングツアーをしているイッサムさんが、日本に出
発する前日、ちょうどアンマンに滞在されているところお時間をいた
だいてお話しを聞きました。ビデオカメラを使えるイッサムさんはイ
ラクで起こっていることを記録することが自分の侵略への闘う方法だ
と、2003年からビデオで記録を始めました。私たちにも3つの映像を
見せてくれました。非常に生々しい映像ばかりです。ファルージャで
市民が住む家の窓に発砲しながら、歓喜の声を上げる米兵も映ってい
ました。まるでゲーム感覚です。

これまで3回アメリカ軍などによって拘束されカメラを2回取り上げ
られたと言います。3回目の拘束では、アメリカ軍のモスク攻撃に居
合わせ、モスクの中にいた6人が殺され、9人が怪我をしたときでし
た。2004年11月12日のことです。そのとき拘束されたイッサムさん
は拷問を受けました。カメラは没収されるごとに、人からお金を借り
集め、記録を続けています。戦争犯罪を記録するためにイッサムさん
は命をかけてこれからも記録し続けると語っていました。アメリカの
心ある人、そして自衛隊を派兵した日本の良心に訴えて、真実を記録
し伝え続けたいと言います。自衛隊を派兵した日本に住む私は自分の
無力さを感じるとともに、無力だからといって打ちひしがれているこ
とによって、戦争を間接的に支援してしまっているのかもしれない、
とにかく沈黙していることが許されないのだと強く思いました。

8月4日(木)
この日はアンマンから西に車で2時間ほど行ったヨルダン渓谷まで足
を伸ばしました。イエス・キリストが洗礼を受けたと伝えられている
「洗礼の地」があります。つまりヨルダン川。小さな川を隔てた向こ
う側にはパレスチナの地が広がります。しかしそこにはイスラエルの
旗が翻っていました。私たちは手続きさえすれば越えられるヨルダン
川ですが、運転手さんをはじめ同行してくれたパレスチナ人たちには
とてつもなく広い広い川です。目の前に広がる故郷を訪ねることが簡
単に許されない現実はあまりにも理不尽で不合理で、なんともやりき
れない思いを感じました。

★障がいを持つ子どもたちのためのリハビリテーションセンター
ヨルダン渓谷にあるこのプライベートのリハビリテーションセンター
は3日に尋ねたUNRWAの女子高の校長、アドラさんが代表を務めま
す。「助ける」ためのセンターではなく、自立のための道を開く手立
てを提供するリハビリテーションセンターです。裁縫、古紙を使った
リサイクルペーパー作り、織物作り、モザイク作りなどをしていま
す。アドラさんはUNRWAの学校で午前中働いた後、車で1時間半ほど
もかかるこのリハビリテーションセンターに毎日通っています。この
リハビリテーションセンターは「Community-based
Rehabilitation Center(CBR)」と呼ばれ、コミュニティに根付い
た活動をしています。建物もコミュニティの住人が亡くした息子のメ
モリアルのために寄贈してくれたそうです。私たちが訪問したときは
先生も子どもたちも夏休みで会うことはできませんでしたが、施設を
見学させてもらい、手作りの手工芸品を購入できました。私は耳の聞
こえない少女たちが自分たちの手で作ったラクダの人形を買いまし
た。背中には刺繍のついた鞍がついていてとてもかわいいです。

★イラクで活動するCPT(クリスチャン・ピースメイキング・チー
ム)のカナダ人男性グレッグさん
グレッグさんはCPTのメンバーとしてイスラエルのヘブロンやイラク
で活動してきた活動家。グレッグさんのお母さんはポーランド系ドイ
ツ人で第二次世界大戦中に難民としてカナダに逃れてきたそうです。
難民としての大変な体験を聞きながら育ったグレッグさんはそのこと
がCPTの活動に参加するようになった動機のひとつだと言います。イ
ラクの写真を見せてもらいながら説明を受けました。前日に聞いた当
事者であるイラク人ジャーナリストイッサムさんのお話しと、グレッ
グさんの情報満載のお話しでイラクの全体像がとてもよく分かりまし
た。石油が豊かなイラクでも石油の価格は高騰、人々はガソリンを買
うために何時間も何時間も並ぶ必要があるそうです。インフラが完全
に破壊され、電気は停電続きで自家発電機を使うからです。グレッグ
さんに戦争状態にあるイラクで女性に対する暴力について質問をする
と、イラクの特殊部隊によって容疑のかかった男性の妻が逮捕される
ことが増えてきたといいます。妻を逮捕することにより夫をおびき出
すのです。アブグレイブ刑務所の女性も何人かそのような理由から逮
捕されていたそうです。グレッグさんが話しをできた二人の女性は姉
妹で、兄弟が容疑をかけられていたから二人の姉妹が逮捕されていた
そうです。グレッグさんはこれからカナダに2ヶ月間戻り、活動につ
いて各地で話す予定があるということでした。CPTの活動は紛争のあ
る地に赴き暴力の目撃者となり、目撃者が存在することによって暴力
を抑制する、また目撃したことを人に伝えることを目的としていま
す。3ヶ月ほどの赴任のあと、2ヶ月ほどの休みがあり各地で話す機
会を作るそうです。

8月5日(金)
この日はアンマンでの予定を終えて、ツアー参加者全員で死海へ移動
しました。死海の向こう側にはパレスチナの地が広がります。夜には
対岸の町の灯が見え、どれがパレスチナ自治区の明かりでどれがイス
ラエル入植地の明かりだろう・・・と言い合いました。この日の夜は
沖縄から参加された高里さんや今回コーディネートをしてくださった
清末さんの話をみんなで聞きながら、ツアーを終えました。

清末さんがこれまで培ってきた人とのつながりのおかげで今回のツア
ーは実現しました。また、スタッフの私の抜けている部分を温かくサ
ポートしてくださった参加者みなさんのおかげでツアーはより有意義
なものになり、無事に終えることができました。本当にありがとうご
ざいました。

今回のツアーでは、参加者のお一人がビデオ撮影をされたので、早い
うちにヨルダンツアー報告会を開ければと思っています。また詳しい
内容はこれから検討してお知らせしますので、是非楽しみにお待ちく
ださいね。

長い長い報告になってしまいました。次回のツアーは11月に韓国を
予定しています。たくさんのみなさんとご一緒できると嬉しいで
す。

松本真紀子

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